スポンサーリンク

天気の子の最後のシーンの意味は?ラストの祈りとRADWIMPSの歌を考察

アニメ映画

2019年7月19日より、新海誠監督の新作『天気の子』が公開されています。そろそろ公開からひと月経ちますが、まだまだ話題になり続けていますね。

ここでは、エピローグについて、監督のどんな思いが込められているのだろうかという部分を考察していきたいと思います。

スポンサーリンク

結末はどこへ向かうの


想像することが難しいですが、雨が全く降りやまない毎日。来る日も来る日も雨。そんな日々が3年間続いている東京。

台風や大雨の影響で川が氾濫したり、床上浸水したりすると、私たちの日常では大変な災害です。

『天気の子』のラストは災害ではありません。それが日常なのです。

天気の巫女の誕生

主人公の陽菜は、目を覚まさない母親の病室を見舞っていました。窓の外、降りやまない雨を見ていると、一点だけ光が差し込んでいる場所がありました。何かに導かれるように病室を出てその場所へ向かいます。

廃屋のようなビルの屋上にあったものは赤い鳥居。「母とまた一緒に青空の下を歩きたい」それだけを強く願い鳥居をくぐったその時・・・

様々な偶然や力の作用によって、天気の巫女が誕生しました。

天気の巫女の悲しい運命

「ねぇ、今から晴れるよ」と宣言し、太陽を登場させる陽菜の力。

いろいろな理由から晴れを望んでいる人は多く、陽菜はそんな人々に太陽を届けます。

みんなが笑顔になって自分も感謝される毎日は、母を失ってからの生活を幸せなものにかえてくれました。

しかし、彼らは知りませんでした。天の気を操ったりしてはいけないことを。

天気の巫女は天と人を結ぶ細い糸のようなもので、人々の切なる願いを受け止めて空に届けることができる存在。昔々はどの村にもどの国にも、そんな天の気のバランスを整える存在があったのです。天気の巫女はどうやってバランスを整えていたのか。

それは、人柱(いけにえ的な犠牲)となって、その役割を果たしていたのです。

陽菜の運命

陽菜は人柱になる決断をします。雨が止んで、人々に笑顔が戻るならと。帆高にそれを止めることはできませんでした。

帆高と出会って、人々に太陽を届けて感謝されて、十分に幸せだった。

そして地上からは決して見えない雲の上の草原で、世界の一部となりました。

(帆高にもらった指輪をここで落とします)。

その結果、雨は上がりました。

しかしやっぱり、帆高は諦められません。陽菜を諦められません。世界がずっと雨だっていい、

ただ陽菜に会いたいと。

スポンサーリンク

ラストシーンの祈りと歌の意味


帆高は陽菜に再会できました。

廃屋の屋上の神社さん、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の力や亡くなった陽菜のお母さんの力、それからお盆の精霊馬や形見の青い石、思いつくすべてのものが力を貸してくれたおかげで会えました。

陽菜が戻った世界

人柱が戻ってきてしまったので、雨が止みません。いえ、違います。雨が降り続くときだから雨なんです。

いまは(3年間もだけど)そういうとき、雨が降り続くときなんです。

天気の巫女を失ったことで東京は1/3が水に沈みました。そう思われましたが、何かを犠牲にすることで人間の都合のよいように自然まで操ることはできません。してはいけないのです。

昔から大雨が続くなんてことはいくらでもあったんだ。元に戻っただけなんだ。人類の歴史の中だけでものを考えてはいけないと、神主さまが言っていました。

陽菜の祈り

天気の巫女としての力はもう陽菜にはありません。

陽菜はラストシーンで何を祈っていたのでしょうか。

ただひとりの人間として、「晴れたらいいな」というものではないでしょうか。

でも、雨でも別にいいんです。ずっと雨だとしても帆高と一緒にいたい、晴れていないと明るく楽しく生きられないと思ってしまったけどそうじゃない、周りの都合や他人のためではなく、自分の人生を歩くことを選んだんだから。

でも、そろそろ晴れないかな。

「晴れますように」だれでも空に向かって祈りますよね。

帆高の想いと歌詞の意味

陽菜と全く同じだと思います。ずっと雨だっていいんです。この世界に陽菜がいるのなら。雨が降り止まないことが日常ならば、それはそれでいいんです。

陽菜の小さな肩にすべてが乗っかっていた3年前に比べたら、雨が止まないことなんて何でもないんです。すべて背負って泣きたくなるのを我慢していた、それでも大丈夫と無理していたあの頃の陽菜。

帆高は陽菜に「もう大丈夫」と言いたいだけ。僕がそばにいるから大丈夫なんだと、僕が君の大丈夫になるからと。

この歌詞を、最初の脚本を読んだ段階で書き上げた野田さんの洞察力。

怖いくらいですね。

スポンサーリンク

まとめ


映画を見終わった直後は、こんなラストなんだ・・・と正直思いました。

異常気象が騒がれている昨今にこんな結末にしてしまう新海誠監督の大胆さというのか、受け止められない自分がいました。

しかし、「観測史上なんとか」という言葉が多用されるいま、たしかに人類の歴史なんて浅い浅い、

人類はしぶといからそれこそ「大丈夫」って思いなおしました。

世の中はどんな状態でも回るものです。自分の信念や愛を貫いても大丈夫なんです。

むしろ、そんなふうに生きるべきなんですよね。
 
 
「天気の子」の関連記事はこちらを見てみてください。
 

タイトルとURLをコピーしました