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エール1話ネタバレあらすじと感想

連続ドラマ

3月30日、NHK連続テレビ小説「エール」の第1話が放送されました。
 
 
昭和39年10月10日、東京オリンピック開会式の日。聖火ランナーが東京の街を走り、国立競技場でまもなく開会式がはじまろうというとき、会場に来ていた裕一が姿を隠してしまう。
 
 
あわてて裕一を探しまわる妻の音。裕一は、自分が作曲した開会式の音楽を皆が受け入れてくれるか不安だったのだが、そのとき……。 
 
 
この記事では、3月30日放送の第1話のネタバレ感想について、お伝えいたします。

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プレリュード(前奏曲)

《音楽》人類の営みは常にそれとともにあった。
 
 
 
原始においては、大地の恵みは一定せず、多くの者は飢餓や病気による苦痛をのがれる術(すべ)がなかった。
 
そのような時代ですら、当然「音」はあった。
 
そして人類は、しだいに音を楽しむようになった。
 
「音楽」の始まりである。
 
 
 
ひとは、おおきな収穫があれば、それを喜び、物を敲(たた)いて舞を舞った。
 
そして、愛するひとを亡くしたときにも、音を奏でることで哀しみを表現した。
 
大舞台で重圧に押しつぶされそうなときでも、音楽が緊張をやわらげ、勇気をくれた。
 
ほろ苦い失恋の悲しみも、それで紛れるわけではないが、前へと進むきっかけとなりうる。
 
現代においては、プロポーズという一大イベントも「フラッシュモブ」という音楽を基調とするダンスで表現されたりもする。
 
・・・失敗すれば、赤っ恥だが。

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エール第1話のネタバレあらすじ

その男、古山裕一は深刻なプレッシャーに苛(さいな)まれていた。
 
ことは深刻だ。
 
なかなか、フレーズが浮かばない。
 
いま、裕一は楽譜に向かい、みずからの作曲人生をかけた大曲を譜面に書き記そうとしていた。
 
国民の誰もが待ち望んだ、日本でのオリンピックのテーマソングである。
 
失敗は絶対に許されない。
 
しかし、浮かばない。
 
いっこうに。
 
時代は昭和にはいり、はや数十年にもなろうとしているが、裕一の部屋は大正ロマン風の洋室である。
 
ふと、外からの歌声に気づく。
 
もちろん裕一の楽調ではない。
 
妻である音(おと)の声だ。
 
竹ぼうきで掃除をしながら鼻歌を歌っていたのだ。
 
こんな大事なときに、童謡なんて、のんきなものだな。
 
裕一はそう思いながら、ひらめいた。
 
そして、猛然とスコア(総譜、演奏のすべてのパートをまとめた楽譜)を書き始めた。
 
裕一は、完成したスコアの表紙に五輪を描いた。
 
 
 
その日がついにやって来た。
 
かつて、加納治五郎が道なかばで斃(たお)れ、戦時中ということもあり、いちどは辞退の憂き目をみた東京オリンピックの開会式である。
 
聖火はは最終ランナーにわたり、ブルー・インパルスがスカイブルーのキャンバスに五輪を描いている。
 
その最中に裕一が消えた。
 
夫はどうしたのだろう。
 
音はあせっていた。
 
もう時間だ。
 
間に合わない!
 
関係者が探してくれているが見つからない。
 
もしや、トイレ?
 
関係者に訊く。
 
地下?
 
その関係者にトイレまで案内してもらう。
 
ふたりは階段を駆け下りる。
 
途中、警備員とすれ違う。
 
音は和装のままだ。
 
時間がない!
 
男子トイレに駆け込む。
 
案の定、裕一はそこにいた。
 
 
 
・・・少し前、裕一はトイレであのときのことを思い出していた。
 
達磨(だるま)というあの男の言葉だ。
 
世界?
 
日本?
 
復興?
 
身振り手振りで、そんな言葉を連発する。
 
それでなくとも小心者の裕一には大変な重圧である。
 
トイレに駆け込み、鏡を見る。
 
かぶっていたボルサリーノ風のハットを脱いでみたら、吐き気がした。
 
洗面台にかがんだ。
 
何も出ない。
 
個室にはいる。
 
トイレの個室に妻が駆け込んできた。
 
ここは男子トイレである。
 
いまはそれどころではない。
 
しかし、妻の言葉には従えない。
 
自分には無理なのである。
 
妻がむりやり手を引っ張る。
 
入り口はすぐそこにある。
 
妻の手を振り払った。
 
無理だ。
 
たとえ、妻の言うとおり、長いあいだの願望であっても。
 
開会式なんて。
 
妻の表情が変わる。
 
まるで、鬼の形相だ。
 
そこへ、妻でもない関係者でもない、別の大きな声が聞こえた。
 
だれだ。
 
自分を先生と呼ぶのは。
 
白い帽子に白いブレザー、警備員のようだ。
 
こんなときに、出身地の話をする。
 
3人は呆気にとられる。
 
しかし、衝撃的な言葉が続いた。
 
家族・親戚をみんな原爆で亡くしたという。
 
いっそ、死んでしまいたかったが、裕一の曲で思いとどまったという。
 
「長崎の鐘」で。
 
床になかば寝そべるような格好ではいられなくなった。
 
立ちあがり、その男の話を聴く。
 
決して流暢とは言えない、訛(なま)りがちな男の言葉は、裕一を奮い立たせるには充分だった。
 
 
 
いっぽう、教室では、幼い子どもたちの眼が、何も映らないブラウン管を見つめていた。
 
いっせいに催促する声があがる。
 
故障しているのか。
 
教頭にもっとつないでもらおう。
 
直らない。
 
担任はやけになって、テレビを叩いた。
 
すると、なんと聖火ランナーの姿と実況の声が聞こえてきた。
 
直った!
 
この福島の小学校は、裕一の母校であった。
 
裕一はここの校歌も作曲していたのである。
 
児童たちから、歓声が上がった。
 
 
 
裕一は音と手をつなぎ、国立競技場のピッチに向かった。
 
・・・藤堂家の墓に、一台のポータブル・ラジオが置かれた。
 
鉄男は、裕一の晴れ舞台を、せめて音声だけでも聞かせてやりたかったのである。

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エール第1話の感想

残念ながら、東京オリンピックは、あまり私の記憶にはありません。
 
オリンピック・マーチは、運動会とかで聴いたのが最初だと思います。
 
ただ、てっきり「バンザイ、東京オリンピック」と言う曲が頭を離れず、今日の「エール」を見て、てっきりそれかと思いました。
 
残念な性格ですね、私も。
 
 
 
残念と言えば、私は巨人ファンでも、阪神ファンでもありませんので、聴いていてもあまり感慨にふけることはありません。
 
もちろん、高校野球の歌は大好きです。
 
やはり、あの曲を聴くと妙に血が騒ぎます。
 
なんといっても、間に合わないと知りつつ、一塁ベースにヘッドスライディングする、損得抜きの清々しさが、古関先生の曲とともに脳裏に焼き付いているせいかもしれませんね。
 
 
 
警備員の言うとおり、曲調は応援歌なのに、裕一はなかなかのヘタりっぷりですね。
 
・・・オリンピック当時でも、そうとうの名声を博していたと思うのですが。
 
今後、そのギャップの由来が明らかになるのでしょうが、展開が楽しみです。

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